鄧麗君そして台東・緑島

4年ぶりの台湾。前回は1元(NT$)3.5円、今回は5.0円での勘定と円安をモロ実感する。バブル期の日経値に迫る「景気」だが一向にその肌感がないのは、何故? 自分の歯の現状から推して足腰・シモの限界もそう長くはないだろう…そんな想いを抱えて、今年初の海外旅行に出かけた。今回は鄧麗君=テレサ・テンの墓を参り、東部の台東などを目指し一週間、気ままに動く算段。1月30日、羽田から台北・松山空港へ。そこで事前に情報を得ていた「くじ」を引き5000ドル=元のキャッシュカードの当選を知った。こりゃツイてるぞ、と小さくガッツポーズ! 早速このカードの活躍場面、バスで90分の金山へと急いだ。高台に位置する霊園の一角に「つぐない」「時の流れに身をまかせ」「愛人」など多くのヒット曲で日本やアジアで愛された歌姫、テレサが眠っていた。中国と台湾の「距離」を憂いつつ42歳の若さで世を去った彼女。テレビ歌番組の中継先・香港での熱唱と涙はいまでも鮮明に覚えている。

霊園には原子力発電所の存在と非常時の影響範囲が掲げらていた。「3・11福島原発」を受けて現在「休止」?。しかし僅か100㎞先には与那国島があり、原発被害に「国境」が無いことは明らかだ。待たせておいたタクシーで金山市街に戻り、ここ以外に選択肢のなかったホテル(1000元)にチェックイン。写真うつりが滅法👍な宿、しかし実際は👎でゼニを半分返せに値した。設備は兎も角、布団のポマード臭には閉口したよ。しゃ〜ない、気分を入れ替えて老害いや老街の散策&晩飯へと進んだ。台湾はありがたい。言葉はチンプンカンプンでも文字は大体見当がつくし、ご飯だって違和感がない。ビールに焼きそば、キューっと一杯。今夜も健康に乾杯!

基隆(キールン)郊外の金山、別に観光地ではない。強いて言えば温泉地なのだとか。その分ローカル感、歩いて回れる市街地に安らぎさえ覚える。夜市よりも朝市が活きが良かったね。海も近いこともあり新鮮な魚介、名物さつま芋も目を楽しませてくれた。市場大好き人間を自負する自分、何処に行っても目指す場所、興奮しっぱなしだ。朝飯は持参していたパンで一時しのぎ、寺院の軒先の素食屋で鶏団子スープをいただく。25元で温まる、イケたね〜。

再びバスで台北に戻る。自強特急で一路つぎの目的地、台東へと急ぐ。783元、残念「65歳以上は半額」は外国人には適用されない。駅から路線バスで市内へ、ここでもあのカードの恩恵に預かる。台湾国鉄(特急除く)や殆どのバス路線、コンビニ(7-11限定)やカルフールなどで利用OK。今宵は市内中心に位置する「台東旅行家商務會館トラベラーHotel」をとった。ありがとたい。大きな湯船があり、トイレの足元もベチャベチャにならずに済む。もちろん快適なシーツ、それに布団。リアルタイムでNHKが観られ、湯沸かし器も備わっている。もちろん夜市もあり、デカい中央市場も活気がある。これで980元とはめっけもの。緑島から戻ったらここに、と腹を固める。持参した「ポケトーク」だが通信状態のせいか変換に2秒以上のラグあり。一方スマホの「Google翻訳」ではツーと言えばカーだった。

そして目的地の緑島。台東・富岡漁港からフェリーで50分、ゲロ必須の触れ込みだったが揺れは想像の範囲で救われた。今宵もネットで拾った宿、民宿「海音」に昼前にチェックイン。観光地とあって1800元の現金払い、シャワーで足元ビチャビチャのトイレを我慢だ。ま、それ以外、不足はない。素泊まりがお約束の台湾事情、部屋で晩酌(メシ)、朝メシは弁当が相場となる。もちろんお買い物はあのカードで。翌日は宿のバイクを借りて一周20キロと言われる島をグルリ。因みに日本支配当時は「火焼島」を名乗ったとか。バイクで走り出しは平坦、しかしその先はアップダウンとクネクネの道路が待っていた。

「犬去りて、豚来る」。これはウキペディアによれば第二次世界大戦後初期の台湾社会における流行語、あるいは一種の差別語」である。また「犬とは日本人、どう猛で騒がしいとはいえ番犬として重宝」、続けて「豚とは戦後に台湾に渡って来た外省人で、食べるだけで何もしない」との例えを指す言葉だとか。「国家人権博物館」にはこの島の歴史が建物とともに刻まれていた。これらの見学と併せて次々と展開される島の絶景はレンタル2時間では忙しく、半日は欲しいところだった。今宵も自助餐(ビュッフェ・テイクアウト)で渋く部屋食だ。

オートバイ天国の台湾。流石に50ccはなく、125ccが主流のようだ。もちろん日本ブランドも元気にブンブン滑走していた。2月2日は緑島から台東へ戻り、あの宿に二連泊。転泊の移動は正直、疲れる。ここらでのんびりを決めたかった。悔しいけれど加齢を認めざるを得ない。今回はじめて海外出金などで融通が利くと評判の「wise」(ワイズ)を利用した。これはセブンイレブン端末、日本で入金しておいたwise口座から現地通貨を引き出す図。確かに公定レートでお得、ただし台湾では100元の利用手数料が加算された。なおアメリカでは70円で済むようだ。そしてディナーは気心知れた餃子、一個がデカく味も日本のアレと同じ。南北餃子館にカンペー!

防空避難。中国が香港に押し付けている現状を間近にみて台湾は「明日は我が身」と警戒を強めている。台東州政府や市役所などの公共施設にさらりと貼られたその標識は「ひとつの国家」を強いる中国・習近平に標準を当てたもの。アメリカや日本政府がどれ程の決意と熱量を持って台湾「支援」を言っているのかは定かではないが「ゼロか100かをけしかける外交」や、「独立ありき」を前提とした勢力の台頭は物騒の火種と言えよう。当面は「現状」を選択した総統選挙の結果を見守りたい。そうした憂いの雨が降るここ台東中央市場界隈、庶民のエネルギーに希望がみなぎったいる。海苔巻に焼売を持ち帰りキューっと。あれま帰国日は大雪かよ…困ったぞ。

今日は明日の帰国に備えて、台北に移動だ。時間調整に台東旧駅の公園辺りをブラブラしてからバスで駅に向かう。バス停で偶然、日本人と会う。何でも東部地域を歩いたり野宿したりで二ヶ月間の旅の途中、という。この先あと一ヶ月は台湾を巡るんだとか。凄い根性だね。家は板橋区、でも今は四国・四万十に居を移してエコロジー生活、と語る彼。本場仕込みの馬頭琴を披露してくれた。謝々! 世間に出てみると色々な生き様、価値観を持った人と出くわすもんだな。もちろん自分の過去や今の座標値の確認、そして残された時間の処し方も…。ま、それが旅行の財産なんだよね。

台北のホテルに15時着。一服の後、土産物色とお寺参りに出かけた。メトロ民権西路駅から西門駅そして大型スーパー・カルフール、先の龍山寺まで最終夜も楽しい。自分へのお土産は「富貴長壽」と露骨なお願いお守り。そして奮発180元、焼魚(揚げだった)チョイスした弁当だった。しかし気が気でないのは明日の飛行機、全日空から「降雪による運航への影響について」の告知メールが届いている。

 

2月5日。旅行時にいつも持参するiPadで自宅チューナーにアクセス、NHKニュースで降雪と運航をみる。状況は依然として良くない。おや待てよ。羽田から851便がこっちに向かって飛んでいるぞ。ってことは自分がのる「NH852」便が松山空港から羽田空港に向けて飛ぶ証しだぞ。ありがたい。やっぱり俺の人生ツイてる。お陰様でフライトは定刻かつ順調、予定どおりに自宅の炬燵で「酒場放浪記」を観ることが叶った。久しぶりの甘酒、ついでに菊水も喉を癒してくれた。案の定、翌朝の庭にはガッツリ白いお土産が置いてあった。これまでのお付き合い、謝々。

限りある足腰にシモ、歯は不調。あと何回、何年…。疲れると余生をちょっぴり意識しちゃうね。謝々!

 

<旅行期間:2024年1月30日〜2月5日>